連載:日本の金融教育の歴史を紐解く(第3回)

前回の記事で、福沢諭吉とその門下生によって導入された金融教育は、企業経営の組織化・経営管理の数値化等の概念を日本に普及させ、日本における近代資本主義の成立の礎を築いたことをお伝えしました。

今回の記事では、日本における近代資本主義がどのように発展していったかを金融教育の影響を踏まえながらみていきます

目次

証券取引所の誕生

福沢諭吉が日本に西洋複式簿記の概念を導入した数年後の1878年に東京株式取引所が東京兜町に開業しました。

開業時点で株式会社は96社存在していましたが、株式取引所での取引の中心は株式ではなく公債で、現代の株式市場のような活発な取引はなされていませんでした。

東京株式取引所開設当時の様子(出典:渋沢栄一記念財団)

金融教育の普及が果たした役割

株式会社制度自体は存在したものの、株式会社を設立した資本家の多くは、従来の家業を会社化したという認識を持つにすぎず、活発な取引は行われませんでした。

しかし、前回の記事で解説した通り、明治後期から金融教育が普及してきた結果、株式会社制度、ひいては近代資本主義の構造を理解する者たちが増えていき、徐々に株式取引も活発になり、株式会社制度も浸透していくこととなりました。

また、工業化の進展により国内の生産力が飛躍的に増加していたことからも投資が活発化していき、1910年前後には株式ブームが起こるまでになりました。

このように、順調に近代資本主義経済が発展していきますが、その後、大きな困難に直面することとなります。そのことについては、次回の記事でみていきます。

おわりに

弊社では、「おかね」のプロである公認会計士が広範な実務経験は勿論、豊富な講師経験を基にマネーリテラシー養成に向けた金融教育サービスを提供しています。身近なトピックを用いた上で、ワークショップ等の様々なスタイルで提供させて頂くため、楽しく、わかりやすく学ぶことができます。

また、教職員様向けの研修・講座も提供しているため、支援が必要でしたら、是非お気軽にお問い合わせください。

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